Temple of Nymphaea
リサーチプロジェクト
2016 ~
“Temple of Nymphaea” プロジェクトは睡蓮の品種改良史をめぐる生物学/美術プロジェクト.本プロジェクトでは睡蓮の花の形の変遷から「ヒトの美学によって駆動される被子植物の生殖器官(花)の進化」を 追跡する.遺伝子型と表現型の解析と審美的・歴史的な調査を通して睡蓮の品種改良においてみられる「人工進化の過程」を明らかにする .材料には画家モネに描かれた『睡蓮』にゆかりのある,19世紀フランスの品種群を中心に扱っている.このプロジェクトは2016年に早稲田大学岩崎秀雄研究室において切江の修士研究として開始され,修了後は東京大学生物測定学研究室にて続行されている.また,かつてモネに植物を提供したナーセリであるフランスの Temple-sur-lot にある Latour-Marliac 社との協力関係下にある.本プロジェクトはその他日本国内,およびフランスの研究者のアドバイスの下,国際的に展開している.
本プロジェクトの焦点は園芸史における新品種作出(育種)の過程を進化に見立てて検討することにある.人々はこれまでに数々の観賞花きや愛玩動物を選抜交配により作り出してきたが,ダーウィン進化論の観点からみるとそのプロセスはその原理に大きな違いはない.モネに描かれた睡蓮もまた,交配や異大陸から持ち込まれた「新種」であった.そうした品種はベルエポックの文化的潮流と並行して創り出されおり,芸術と生物学の入り組んだ関係,そしてそのなかで人為的に改良された生命のありようを浮かび上がらせる.また,改良のプロセスは園芸という一見素朴で平和的な営みの中で,「花」という植物の生殖器官を舞台にして展開されるものでもあることは注目に値する.奇抜に鮮やかに変形された生殖器官には時に育種家や愛好家たち,そして庭を眺める不特定の人々のまなざしが向けられることになる.
遺伝子工学が発展した現代において,人類の活動はより強力な影響を他種の生物に及ぼすことになる.そうした現代的な生物工学の手法も選抜交配のような古典的な方法の延長にあり, 美学/生物学/農学の複雑な関係性のなかにあってさらに込み入った関係性を生み出している. それゆえに,遺伝学的な実践の歴史を紐解くことは我々の直面する複雑な生命観への重要な示唆を与えてくれるはずである.本プロジェクトはまた美学と,生命をデザインすることに対する考察も促す.このプロジェクトの歴史に対する側面は特に強調すべき点である.このプロジェクトは植物学的な営為の産物に対する植物学的なアーカイブを生み出すという意味で「メタ自然誌」とでも呼ぶべき要素を含んでいる.プロジェクト名の “Temple” はナーセリの所在地である “Temple-sur-lot” を,“Nymphea” はギリシャ神話に登場する水の妖精ニンフであり,睡蓮の学名(属名)を意味する.したがって,プロジェクト名は「睡蓮の神殿」だけではなく「Temple-sur-lot の スイレン,ニンフたち」をも意味する.